馬場 勉コラム
『自今生涯』

第180回

一生勉強、一生青春

『一生勉強、一生青春』は、相田みつを氏の言葉である。60歳あるいは65歳まで働いて、その後、悠々自適に生活する人もいる。また、いわく、70歳以上になると、みんな年齢には関係なく同等だという人もいる。私のように、自由業ということで、死ぬまで人生を元気に過ごし、生涯現役を貫きたいと思っている者もいる。その志やいかん。

「ニッポン1億総活躍プラン」とか「生涯雇用制度」など色々うたい文句はあるが、お金と体力と時間等の相関関係もあるから、一口には何が良いかは判断されない。月給や年金のレベルが高く、一生楽しい人生をおくれる人もいるが、老後破綻の人もいるから、所得の格差が大きくなりすぎ、中流家庭の人が少なくなっていくのは、資本主義国家としてはどうにもならないのかと思う。観光旅行は、平均年齢が60歳~70歳以上の人が多い。つまるところ、体が丈夫で、ある程度のお金があり、時間の余裕がある人が中心だろう。考えようによっては、幸せな人達である。私の知人に週3日、透析をしている人がいるが、お金はあっても時間的日程から判断しても旅行は無理だろうから、健康で元気に行動できる人は幸せだ。介護施設に入っている人など、どうにもならない人もいるだろうが、そうでなくて、その気になれば健康に生活できるのではないかと思われる人もいる。社会から逃れる事情があったり、少し体が悪ければ、すぐ入院させてくれる病院や施設もある。介護や薬代が約40兆円に達している現在、もう少し年寄りの人も考え直す必要があるかもしれない。健康でなければ、この世からあの世へ行くのもよいかもしれないが…。俗にいう姨捨山への道だ。

先日の6月4日、中国地方は梅雨に入った。カラ梅雨になる気配だが、雨の中を「歩き遍路」の人をみると頭が下がる。

全国的に見れば、京都の伏見稲荷大社をはじめ、88ヵ所遍路でも外人さんが多くなったという気がする。日本への旅行者が多くなり、岡山のホテルにも大阪方面から流れてきているようだ。ただ、瀑買いはいつまでも続かいないのではないか。数量は少なくても。高価なものを買う傾向が目立つようになると思われる。日本に来る人数が多いだけが、良いことではないと思うが、いかがかな。旅慣れしだすと買う量が少なくなるからだ。

旅行の募集に誘われてチャーター便で、みちのくの青森県に行った。青森は下北半島と津軽半島に大きく分かれる。二泊三日で、ほぼ一周したが、マグロで有名な大間(おおま)や恐山(おそれざん)にもいった。港町は、どこも同じなようなものだが、港町の漁港には、どんなにお金があっても大邸宅は少ない。土地が少ないことも原因しているし、職場が近いことも理由である。

日本三大霊場といわれるのは、比叡山、高野山、恐山善提寺だ。恐山には一度行ってみたかったが、生と死の世界を連想させるところである。硫黄が噴出しているお寺で、なんか寂しい感じがするところである。もともと天台宗だったが、現在は禅宗のお寺になっているそうだ。日本の代表的な三大霊場を私は回ったことになり、それぞれの見所がある。それなりの感銘を受けている。その他、奥入瀬(おいらせ)渓流、十和田湖、弘前(ひろさき)城址(例年になく桜が早く咲き、弘前は一部を除き葉桜であった)などを回ってきた。直行便(チャーター便)は、乗り換えもなく、時間的に余裕ができて大変良いと思った。

最近、暴力団の分裂による抗争が、岡山で起こり死者が出た。岡山の池田組(岡山市田町にある)が山口組から分裂して神戸山口組に入ったため、従来の山口組との睨み合いが生じた。警官が24時間の警戒に当たっている。私の自宅の近くの隣町でも、覆面パトカーが、24時間常時監視しているところがある。

警察官に守られている状態である。見方によっては弱虫(暴力団)を守っているようなもの。ただ、一般人を守っているという見方もある。

話は変わるが、東京都知事舛添要一氏は、多数のSP(警護の警官)に身辺警護してもらっている。身から出た錆だが、総理大臣級の警護であり弱虫だ。いつ暗殺されるかわからないと、ビクビクしているのだろう。誰からも身の危険を感じなくてよい庶民(私を含む)は、逆説的にいえば、幸せである。自由に動き回れるのだから。

覚せい剤(クスリ)で涙を流し、更生を誓っている清原和博氏は、人生の浮き沈みに反省していることだろう。ただ、私は、清原氏は幸せ者だと思っている。親友の佐々木主浩氏が証言台に立ってくれ、一般人からの嘆願書も出されている。私がもしクスリで問題を起こした場合、誰が親身になって助けてくれるであろうかと思う。クスリを使ったことは問題だが、見放さずに助けてくれる人がいるということはありがたいことだ。清原氏の人徳の賜物だろう。

私と同輩や先輩の中には鑑定業を卒業して、悠々自適に生きている人もいるが、私は生涯仕事をするといってきている。今でも、月にそれなりの仕事を出してくれる業者があらわれたことはうれしいことだと思っている。まだまだ、これからだと…。やる気十分。

88ヵ所の階段を昇り降りでき、旅行にも参加できる体力があることに感謝している日々である。私は、介護の必要性は現在まったく不要である。

報道によれば、71年ぶりに戦艦大和を鮮明に、水中カメラで撮影したらしい。約3,000人の死者が出たのだが、生存者は一割にみたなかった。聞くところによれば、戦艦大和に乗ることは、優秀で名誉なことだったそうだ。東京大学の入学者数より少ない人数の乗組員だったことになるから、選ばれた人達だったともいえる。私の(亡)おじさんは、戦艦大和に乗り込み、生き残って帰郷したが、足を負傷していた。よく酒を飲んで戦艦大和の話をしていたが、選ばれた優秀な人が乗り込んでいたというような話は、一度も言わなかった。聞いた記憶がない。海軍は志願兵で18歳になるかどうかの若者が中心だったようだから、自らは優秀だったとは一言も言わなかったが、選ばれた者であったらしい。私としてはいいおじさんを持ったと思っているが・・・。頭は冴えていたし、よく理論的にシャベッテいたのが、懐かしい思いとして残っている。

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