馬場 勉コラム
『自今生涯』

第178回

王将と歩

平成27年度の三月末までは、それ相応に多忙だった。平成28年の新年度に入ってからは、少し落ち着いてきたが、生涯現役を貫ける見込みの可能性がある仕事量が定期的に入ってくるのがありがたいことです。

しかしながら、このコラムを定期的に続けて書いているのに、途切れてしまって楽しみに読んでくださっている皆様には、期待を裏切り、誠に申し訳なく思っています。

弊社所有の岡山大学鹿田キャンパスに近いマンションにおいても、学生が卒業・入学で入れ替わりがあり、段取りや準備に精神的に疲れましたが、大切な御子息さんに利用していただいていますため、親代わりとしてお預かりさせて頂き、安心して卒業までこぎつけ、将来の夢を達成できるように、弊社としては、安全安心な生活が送れるように環境整備することが必須条件だと考えています。

社会人にとっては、転勤の時期でもあり、将棋の駒を動かすように、紙切れ一枚で転勤を余儀なくさせられ、人生が変わること。さらに、引っ越しも大変だ。特に海外赴任ともなれば、仕事や家族のことなど、諸事情が重なって思い悩むことだろう。会合などで転勤されて岡山支店長などになられた人と話す機会があるが、入社以来10数回の転勤を余儀なくされている人もいらっしゃる。心の中では、いい加減にして欲しいと、本心から思っている人もいるだろう。

過去の学歴・職歴や馬が合うことによりステークホルダーとして上官が人を集めることも現実にある。世の中は、王将と歩の差別化が、入社式のときに、ふるいにかけられていることもあるらしいが、人生はやってみないとわからぬことも事実である。

口先が滑らかで、頭がきれる若者もいるが、将来を保証されているわけでもない。「顔」を研究するのもおもしろい。謹厳実直な人よりチャランポランのいい加減なところのある人が必要なときもある。

“運”というよりも、確率の問題ではないかと思う。少年時代が貧困だった人が、一角の人として、成功している人も多いが、学がないことに劣等感をもって、仕事をしながら学校(学歴)にいくことに情熱を費やす人もいる。程々に学校にいけて、仕事を死ぬるまで出来れば幸せかもしれない。人生は長いようでも、短いものだ。どのような人生軌道を描くかは、その時その時の努力の結果だろうと思うがいかがでしょうか。人は必ず死ぬから、楽しく悔いのない人生を送ろう。

桜が満開。散り始めている桜もある。しかし、標高差や桜の銘柄(品種)、さらに地域差により、まだ蕾でこれからという桜もある。人生も然り。早熟な人、或いは神童といわれる人もいれば、いわば大器晩成型の人もいる。いろんな人がいて、確率的でないところが良いのだろうと思う。同じ木の枝でも、桜が満開と蕾が同時に存在することも珍しくない。同じ一本の桜の木ですら差があるのだから、人生全体を考えれば、個人差について、同じようなことが言えるから、納得がいくことだろう。

四国八十八ヵ所の巡礼の旅の良さは、心の安寧を求めることはもちろんだが、標高差があり、各々のお寺さんが花々を植えて、一年中、遍路さんを花でお迎えしているところが魅力的である。四国は人口減はみられるが、俗化されていない自然がたくさん残っていることに、人を引き付けるところがあると考える。

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