馬場 勉のコラム
『自今生涯』
年末年始
今年はあと数日で終り、新しい年を迎えます。
とりあえず、仕事じまいをしました。が、残務整理があるため、完全な休みには入れません。
新年の三が日は、久しぶりに自宅でゆっくりしたいと思っている。受験勉強(?)のために受験本を読みたいと思っている。歳をとっても受験しようと思い立ったのです。なぜかというと、さりとて特別の理由はないのですが、ボケ防止に資格を取るのも良いかなと思っているためです。
町内に、数え年 100 歳になるおじさんがいらっしゃる。かくしゃくとして、元気そのもの 28 歳のとき、召集令状で海軍に入ったとのこと、その後いろんな経験をして、 100 歳でも元気な人はいるという現実を知るべきだろう。
四国のお遍路 88 ヶ所には、 101 歳でお寺参りをしている人がいる。健康は体質的な遺伝の問題もあるが、心身ともに健康体と心掛けに尽きるものと考えられる。
著名な人でも、 106 歳まで元気に仕事をしている人もいるから、元気な気持を持って、泣き事を言わず、頑張ることだ。
100 歳になった町内の人と握手した。めでたいことだから。人は必ず死す。これは真実で例外はない。早いか遅いかの話である。老後、施設に入って、楽をすることを考えず、自ら元気に生き抜く事を考えるべきだろう。
先般、広島市で不動産鑑定士を 30 歳から 74 歳まで約 45 年間近くリードしてきた先生が、一代記を 200 ページの書物にまとめられて送付してきてくれた。新年には 75 歳になり、後期高齢者の仲間入りをするということで、過去の仕事やその時々の気持をまとめられたようだ。一区切りつけたかったのだろう。
私は、昔のものは処分しているし、皆さんに披露する程のことは残念ながらない。ただ、色々あったが…。
その時の心情に従って、思いついたことをカタヤブリやって来たような気持ちはする。今だに記憶に新しく忘れられないことがある。それは、初めて不動産鑑定の仕事を大阪の会社ではじめたとき、大阪の此花区にあった不動産業者(名前は忘れた。その後、探してみたが町が変わってわからなかった)に飛び込み、不動産市場を尋ねていたとき、不動産業者のはす向かいのところが、松下幸之助が町工場を開き、ソケットを作っていた場所だと聞き、猛烈な感銘を受けたことを思い出す。松下電器産業(現パナソニック)は成長産業で、当時から大企業だったからだ。こんな下町が、発祥の地かと思ったことだった。その気持は新鮮だった。初心忘れずということ。
報道によれば、日本と韓国が合意「解決」したとのことだが、いつまでも従軍慰安婦問題を 70 年にわたり主張し続けている韓国人は、相手が心からお詫びし、かつ、お金を出すまで主張し続ける。その心の強さに感心するとともに、日本人はついていけないと思う。程々のところで手を打ち、解決するだろうが、いつまでも言い続ける。すなわち、 70 年におよび主張し続けてきた。まだ、本当に決着して終るか問題だ。どうなるかわからない。飽きもせず、昔を忘れない心意気には、妙に感心する。
安倍首相は、自らの手で解決させたと公言し、選挙目当てにするかもしれないが、相手あっての問題だから、そう簡単な問題とは言えない。韓国人の性格を分析して、よく考えておかないと、とんでもないことになる。エサだけかっぱらって逃げ、死ぬるまで従軍慰安婦だったと言い続けるのではないかと思う。若い人や応援団が、確信的に応援するであろう。だから、日本人から韓国人は、嫌われるのだろう。いい加減にしなさいと言いたいところだが、どうかな。そう簡単に、わかりましたということにはならないだろう。
とにかく、泣いても笑ってもあとわずかで、平成 27 年は終る。 28 年はいい年でありますように願っています。
世代交代が進行していることを、しみじみと感じるが、うれしいことに、歳相応に新しい顧問先や式典への出席を依頼されることが多くなるなど、ますます生き甲斐が出てきている。まだ、これからも現役として頑張る。かつ、趣味の 88 ヶ所をスピードをあげてまわりたいと思っている。
本年も、拙文を読んで頂き、ありがとうございました。来たる年も、よろしく御指導・御鞭撻の程を、お願いします。