馬場 勉のコラム
『自今生涯』
北海道の旅ものがたり
6 月は今日で終わる。梅雨時だが、晴れの日も多く特段の不都合はない。自転車では、傘さし運転はダメとのことでカッパを買ったが、出番はさほど多くなかった。もうすぐ暑い夏になる。
財政危機が問題化していた欧州連合(EU)加盟国のギリシャが債務不履行(デフォルト)状態に陥り、銀行は休業となった。日本の株式は大暴落になった。遠い国で、直接は関係なさそうなのだが、世界はグローバル化が進んでいるから、地球の裏側で起こったことが、即世界に飛び火する時代である。東証は 596 円安の今年最大の下げだった。日本自体も将来は、国債が暴落しないとも限らない。財政政策の健全化が、当面の課題である。
よく理解できないことだが、東京オリンピックに対応する為、新国立競技場の建設費が高値で大きく動いている。なぜ総工費が大きく上下動するのだろうか、最初は安価で交渉を始め土壇場で儲けを大きくするため本音を出して高騰させる。入札方式によるのだろうから折合いするような価格調整させることが起こること自体理解できない。宇宙から来たような変った形の新国立競技場だけれど、設計者の玩具ではないのだから、実用向きの安い物を作ればよいのではないかと思う。出来上がっても稼働率は高くないと思われる。宝の持ち腐れで維持費(ランニングコスト)がべらぼうに掛かるのではないかと危惧するが…。
今月は、四国の八十八ヶ所と北海道の旅を楽しんできた。四国霊場の八十八ヶ所は、思いつくままに回っているが知人に八十八ヶ所の話をしたら、あまり興味を示していなかったのに、何を思ったのか知人は回り始めた。ハマッタらしく、 8 ヶ月間で車で一巡した。高野山の奥の院にもお参りしたとのこと。すでに、二巡目を始めたとのことだったから、お四国病に掛かったかもしれない。本人のいうには何と言っていいか表現できないが、お遍路すれば止められない何かがあり、楽しみがあると知人はいっていた。私が勧めたわけでもないのに…。
ひがし北海道と、にし北海道に旅行社のチャーター便で行ってきた。チャーター機は乗り換えも無く 2 時間弱で稚内(わっかない)や中標津(なかしべつ)空港へ行ける。中型機で軽快な空の旅だ。運転も悪くなくベテランのパイロットの部類に属するといえる着陸だった。上空は雲が多く梅雨時は、見晴らしが良いとはいえず悪いときが多いのが残念だった。
北海道は、場所によりさほど寒くない時と風が強くて猛烈に寒い所があることが特徴だ。ひがし北海道には、知床半島(しれとこはんとう)、根室(ねむろ)釧路(くしろ)霧の摩周湖(ましゅうこ)網走(あばしり)刑務所など見るところは多い。霧で北方領土の国後島(くなしりとう)択捉島(えとろふとう)歯舞群島(はぼまいぐんとう)色丹島(しこたんとう)は見えなかったのは残念だったが、四島返還要求基地の建物はある。自然豊かな北海道のことだけに絵にはなる。オホーツク海の流氷の時に行ってみたいと思った。
にし北海道は稚内(わっかない)から礼文島(れぶんとう)利尻島(りしりとう)へはフェリーの旅である。利尻昆布が有名で、京都の料亭では良質の利尻昆布を使用している。最北端の宗谷岬(そうやみさき)は強風に悩まされた。体感温度は、夏服ではとても長くは持たない状態だ。 1 年のうち半分働き、あとの半分は休業ということが普通のようだ。利尻島の利尻富士は、見る方角で形を変えて目を楽しませてくれる。火山の島でその残骸が残っている。礼文島の方が地質学上は古く、台地が隆起した地勢である。
礼文島では、私は消息を捜したい知人がいた。大学生の時、東京の下宿先で大学は違っていたが、荒木さんという北海道の礼文島から来ていた先輩がいた。島の人に尋ねたところニシン漁の網元(あみもと)をしていた人の息子で現在は島内にはいない。ニシンが獲れなくなって廃業し家も取り壊して無いとのこと。ニシン御殿ではなかったかもしれないが金持だったので子供を東京の大学に行かせて教育を付けたが、島に残らず親は淋しい気持だったろうと思う。思うに、子供に家業を継がせず教育を付けさせて立身出世はしたが淋しく田舎で暮らしている親がいるのも現実である。教育は大切であるが親元を離れると帰って来ず親の面倒もみないで、相続争いをする家が多いのも現実だ。複雑な気持にもなる。学校に行かずとも親の跡継ぎをして、楽しい団欒を営む家族もあるがこれも良しと言わざるを得ない。
とにかく、一度は行きたかった「最果ての北海道」の旅は良かった。また行きたいと思う。極寒の時に流氷を船から見たい気持だ。