馬場 勉のコラム
『自今生涯』
一日一生
作家(亡)山崎豊子の「不毛地帯」をテレビで見ていたら、床の間の掛軸に「一日一生」という書が掛っていた。含蓄のある言葉だ。
毎日が、一生一生の積み重ねだろう。大切なことは一日 24 時間を大切に、充実して使用しないといけないと思った。
今日が全てで、明日はどうなるか、わからない。だから、今日一日が、一生だと真剣に集中力を持つことが、必要になるだろう。
たまたま、「私の履歴書」には、現在 アサヒグループホールディングス相談役の福地茂雄氏が執筆しているが、日経の平成 26 年 6 月 11 日号で『本日傘寿( 80 歳)を迎えた。振り返ると時間の大切さを、しみじみと感じている。企業活動も同じで、ヒト・モノ・カネという経営資源は、質を高めることも、借りることもできる。ただ、時間だけは、どちらも出来ない。誰にでも与えられているのは、 1 日 24 時間だけ。トップとしては、時間の使い方が最も難しい。経営の一線から離れても、家でぼんやりすることはないし、早朝に起きても二度寝はしない。無為に過ごすというのが、本当にもったいないと思う・・・』と記述されている。 80 歳になっても、時間を大切にしていきたいという、心意気には感激を覚える。
入社試験を受けて、一兵卒として入社して、最後はトップを極める人は、毎日の生き方が違うのだと感心した。
私の知人の先輩は、大正生まれで、まだ理事長をしている人がいる。言葉は明瞭で論理正しく、背筋もまっすぐである。立派な人生の生き方だと感心している。反して、私の人生は、いかがだったろうかと、反省している。しかし、これからでも遅くない、やる気は増々意気揚々としているのだが、実現がどの程度、達成できるかだろうか?それが問題だ。
新聞や週刊誌、その他の本を読んだりしていると、結構時間がかかる。 3 日に一度程度の割でスポーツセンターに通うのが、日常生活になっているのだ。それ以外に、 88 カ所遍路めぐりと県外に行ったりで、私なりに時間のやりくりをしている。時間が足りない場合もあるが、一日が長い時もある。
最近思うことは、権威のある大学や雑誌等が、いい加減なもので信用できない面が多々あると、考えるようになった。むしろ、週刊誌の方が、正確で、よく調査しているように思うからだ。例えば、理研(理科学研究所)の小保方晴子さんの論文が、どのように評価かつ再研究してもいい加減なものらしいのに、なぜ、英科学雑誌のネイチャーに登載されたのだろうか。理研のユニットリーダーという、箔がネイチャーという権威のある専門誌に載せられたのだろう。人々の見方は色々だが、週刊誌(週刊現代、週刊ポスト、週刊新潮、週刊文春等)の記事は、新聞等に書かないことを、堂々と書いている。署名記事が多いから、文書に責任をもって調査した上で、執筆していると思う。下手をすれば、仮に事実誤認があれば、名誉棄損で訴えられるから、いい加減なことは書けない。最近は、高血圧の値のことや、待望の新薬が厚生省で認可され、従来、同じ成分の薬が高値で売られていたのが、保険適用されることになり安くなったという情報など、参考になることも多い。かかりつけの医師に、私の方から情報提供する始末である。医師は小理屈を並べ立てて、乗り気でないようだが、週刊誌の方が、早く正確な情報を書いている。
また、病院と製薬会社が馴合いで資料を偽造、あるいは変造して、高血圧の薬でノバルティスファーマという製薬会社が、累計で1兆 2 千億円を国内で売り上げた見返りに、関与した大学 5 校と癒着して、11億円以上におよぶ莫大なお金を研究・教育費等の名目でばらまいている。大学は、そういう貰ったお金をどのように使っているのだろうか。いい加減なものだ。馴合いだ。いくら厚生関係の国の予算を毎年増加し続けても、足りないのは当たり前だ。
東京地検特捜部が、ノバルティスファームの元社員を逮捕した。臨床研究の信頼を失墜させたデータ不正問題が、刑事事件に発展したのだ。医療費削減のためにも、医学界にメスを入れて、一罰百戒で厳しく糾弾するべきだと思う。
大学病院の医師と製薬会社などが、不正をして人体実験のみならず、資料を偽造している。国民(患者)を人間としてではなく、物としてしか見ず、自分たちの金儲けに、奔走しているのが実態だ。厳しく対処すべきだと思うが、今後の成り行きを注視したいものだ。検察の意気込みを応援したい。