馬場 勉のコラム
『自今生涯』
老人よ大志をいだけ!
鮎の初競りのニュースが流れた。初夏の訪れを告げる時期になった。
その昔、クラーク博士は札幌農学校を去るに当たり「青年よ大志をいだけ」(ボーイズ・ビ・アンビシャス)という別れの言葉が有名だが、テレビを見ていたら「老人よ大志をいだけ」と言っていた人がいたのが、頭に残っている。妙に、新鮮味を感じた。
「老人」とは、どんな人をいうのか?と思う。一昔前には、 60 歳以上の人は、年寄りという印象が強かったが、平均寿命が 80 歳前後になった現状では、現行の法的評価とが合致せず違和感を感じる。よく理解できない。現実とのギャップの状況だ。
法律では 60 歳定年だったが、今は 65 歳まで働く意欲のある人は雇うことが必要ならしい。失業保険は 65 歳で完了する。 65 歳以上は失業保険料を支払わないでよい。反面、失業保険をもらえなくなる。年金は 70 歳までは支払うが 70 歳以上になると、年金は受給できるのだが年金負担金の支払がなくなる。しかし、健康保険は 75 歳までは健康保険料を支払うことになる。 75 歳以上は、後期高齢者として別の制度の健康保険の対象となるらしい。らしいというのは、私が 75 歳になっていないので詳しいことは分からない。要は、国は労働者として 65 歳までの人を対象にしているということ。 65 歳以上は、仕事をしても失業保険はくれないということだから、労働者でなく老人ということか?個人差があるからひとくちに老人といわれてもピンと来ないが、私のように元気に生涯現役を主張している者もいる。会合などに行くとさすがに、老人と思われる人の出席は少なくなったが、 80 歳以上で重要な役をしている人も、勿論沢山いらっしゃる。老人といえども、希望と勇気を持って頑張っている人もいるから「老人よ大志をいだけ」という言葉が当然に当てはまる人も多い。モチベーション(やる気持)が高まっている人ほど病気にもならずに、仕事ができるように思われるが、私だけの判断かも…。
先日、直木賞作家の渡辺淳一氏が 80 歳で亡くなった。亡くなるまで、週刊誌や小説を書いていた。前立腺がんが脊髄に転移していたらしい。作家とか俳優という人達の中で売れっ子の人は、無理をして仕事をするから体が動かなくなってから、治療をを受けても手遅れという人が結構いる。ただ、本人は好きな仕事に大志を抱き男女の愛情についてあくまで追求して情熱を燃やしていたのだから、幸せだったに違いない。そう思いたい。
ちなみに、 50 年後(私は生きていないが)には、 70 歳までが働き手として把握され、子供も増やして日本は 1 億人の人口を維持したい考えらしいが先のことはどうなるか分からない。
私は思うのだが、国民があまり働かず、とにかく休みが多すぎる日本。 3 日に 1 日は休みになっている。途上国を通り越えて西欧並みの衰退の国になっているのではないかと、心配しているところだが、 1,000 兆円以上の国債を少なくするためには、消費税に頼らず、もっと国民が働いて生産力を高めることだと思うが…。消費税は全体から見れば知れたものだ。
先日、テレビで日本女子の世界卓球を観ていたら、本気で真面目に全力を尽くしている日本選手に感動を覚えた。平野早矢香選手は 29 歳、石川佳純は 21 歳だが、真剣かつ相当に練習をしているのだろう。若者の見本である。休日だといっても遊ばずに、一生懸命に練習している人がいるのも現実である。まんざら捨てたものではない。中国を抜いて金メダルも夢ではないだろう。
いわゆる、老人と思われ特定の仕事を持たない人でも、趣味が高じてその道では、かなりのレベルに達している人もいるから、老人とひとくちに見捨てるわけにはいかないぞ…。痴呆症にならないためにも「老人よ大志をいだけ」といいたい。