馬場 勉のコラム
『自今生涯』
教育再生
今日で1月は終り。長かったようでもあり短かった。
パーティーの時に、岡山県知事の伊原木さんがパフォーマンスを交えて、必ず、教育再生を口にする。次に演説に立つ岡山大学の森田学長は、伊原木知事の元気の良いパフォーマンス発言に圧倒されて、自分の存在の姿が薄れると苦言を発し、会合に集まった人々の笑いを誘っている。何が楽しくうれしいのか知らないが、パフォーマンスより、じっくり静かに県民の教育のことを考えてほしいと思うのだが。
一昔前は、教育県といえば、長野県と岡山県と定評されていたが、いつの間にか岡山県は、全国学力テストの結果は散々なもので、最下位に近く全県の中で下から数えた方が早く、最低に近いところにとどまり、何ともどうしようにもならない県になってしまった。また、県内の学校の荒れ方も大変なものらしい。実際に授業に立ち会ったことはないが、伝聞ではすごく悪いらしい。授業が成り立たないらしい。
私は、ある大学で非常勤講師を行ったことがあるが、最近の大学生はやる気がないというか、無気力というか、勉強をするという気合が感じられないため、教える者の力が萎えてくる。どこの大学も、似たり寄ったりらしい。しかし、世の中は、捨てたものではない。30歳の若い女性研究家がSTAP細胞を英科学誌ネイチャーに掲載されたという名誉ある業績で、革命的な手法で独創的な手段は、将来が非常に楽しみである。それは、理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの小保方(おぼかた)晴子研究ユニットリーダーのグループの快挙である。若い女性が、明るい日本を作りだしたことには感動を覚える。女性達に、勇気と希望を与えたことにもなる。 小保方さんのエプロン姿が絵になる。
さて、伊原木知事が盛んに教育再生をパフォーマンスよろしく宣言しているが、なかなか思うようにはいかないだろう。最大の敵は、知事が東大卒の最高学府を出た人だから、自分ができることは誰でもできるだろうという先入観と錯覚に陥っていることだ。ところが、人それぞれで、みんなが秀才コースを通るものではないから、俗にいう落ちこぼれにはその気持で接しないと生徒の気持がわからないのである。教育を再生することは不可能ではないが、簡単な問題ではない。できる者だけでなく、できない者をも集めて、気持を聞いてみる必要があり、教育委員会のメンバーも色々な立場の人を集める改革が必要になるであろう。有名人で頭の良い者だけで構成しても偏るのだ。出来の悪い者の気持が理解できないからだ。
先日、岡山朝日高校同窓会の同窓会名簿が届いたが、その代物に驚いた。A4判で、高さが約 4 cm余の1,000ページを超えるドサッと存在感のあるものだ。創立 140 周年記念号とのことで、名簿以外にも珍しい記事が登載されているが、それにしても大変なものである。住所氏名など、中身が正確であることも評価に値する。多くの人が、かかわって誤りがないように、細心の注意をしているのだろうけど…。卒業してから、「あれから 50 年」という随分昔のことになるが、自分の過去の経歴を変えることはできないから、学校の発展を祈るだけである。
それにしても、教育施設は、いろいろ合併、開校、閉校を模索しながら変遷するものだ。学校の人気も時代の流れにしたがって変わるらしいから、一定していない。私の高校生頃の私立や公立の学校内容(評価)が、世間では、時の流れが学校間に逆転現象が生じて、評価が変わっていくから面白いし、学校自体も継続の中に変革と努力を怠らないことが、大切であると考えるところである。それが老舗(有名校)の所以だ。ただ、基本の中心をなす教育方針は変わらないことが、大切だろうけど、時代の変化についていく、変革が常に必要だと思われる。そうすれば、長い間の実績になり校歴になる。
それにしても、ズシリと重い同窓会名簿には驚きと重みを感じた。