馬場 勉コラム
『自今生涯』

第142回

“手相”と”人相”を考察する

今年は、残り少なくなり何かとあわただしい雰囲気が感じられる。アベノミクスの影響らしく、少しは消費(高級品や忘年会等)が好調のようだからめでたし、めでたしというところか…。

先日、 1 週間程、東京と京都に旅をしてきた。私は学問への情熱に堪え兼ねて、東京で開催された講習会に参加することにしたのが主たる目的。不動産の世界は、裾野も広く我々の日常生活が成り立っている基盤である。不動産鑑定士は不動産全体のごく一部を担当かつ検討しているにすぎない。例えば、身体全体を診る医療の中でも内科とか外科のように分化している中でさらに細分化される一分野ということである。要するに、不動産業界は広い。裾野が広くその中の一つが不動産鑑定士にすぎない。だから、不動産の本質を学問する必要があるのではないかと思った。それがまさに「不動産カウンセラー」の分野ともいえるから不動産全体を把握して研究・勉強することが大切だと考えるようになったので、講習会へ馳せ参じたということだが、せっかく久方振りに行った東京だから観光して帰らぬ手はないだろうと東京・新宿・池袋・渋谷に、特別の用事もなかったが街をぶらついてみた。何処も特色のある街を形成していて刺激があり楽しかった。

霞ヶ関は夜遅くまで光がついていた。日本の官僚の中核を成すところだから当然だろう。

いつも愛着を込めて行くのだが「あゝ上野駅」で知られる上野界隈だ。上野公園の石段のところに行くと、似顔絵書きや易者がいる。興味本位で手相を見てもらった。運命線・仕事運線・金運線等があり、易者の講釈を聞いた。易者曰く、他人の手相を見るからには先ず自分の手相が判断できて、自分の将来がどんなになるかが分からないといけない、と自分の手を私に見せてくれた。私の手相は、総合的には良いという結論だった。手相は、時間の経過と運気と共に変わるものだし、人生を反映しているものらしい。私はそのように考えているが…。

帰途、途中下車して、京都に立ち寄り晩秋の京を定期観光バスに揺られながら各地を巡ったが、葉っぱが絨毯のように降り積もった光景も良いものだった。

行きつけの京都駅地下街のメシヤで従業員と雑談していたら、テナント貸ししているJRの都合で、改装するために閉店することになったとのことだった。時々は内装を変えることにより、新鮮味を出し、マンネリから脱出して、お客さんを飽きさせないようにして売上を伸ばすことが必要となるらしい。何処もやっていることだが…。

さて、別れ際にあなたの職業は○○ですか?と言われてドキッとした。当たらずとも遠からず。まあそういうところだ、と言葉を濁したが、長年客商売をしていると人相で、職業まで推定できることになるものらしい。恐ろしいことだ。

私でも、他人の(特にテレビに出るような人)の顔を見てどんな人かと考えることがある。時には顔に似ず、タダの人なのに立派な顔だけが一人歩きしている人もいる。逆に、締まりの無い顔でもエライ人の場合もあるから人は見かけによらぬものだ。男は 40 歳になったら自分の顔に責任を持てといわれるが…。ただ、仕事と顔は、概ね相似している(例外を除けば)。だから、顔を見れば人柄が分かるため恐いのだ。面接の必要性は、ここに根拠があるといえる。

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