馬場 勉のコラム
『自今生涯』
たかが年賀状されど年賀状
新年はすでに 20 日間が経過し動き出している。年賀状のやりとりは終わった。今年の年賀状でとくに特徴的だったのは、「世代交代」を感じたことだった。
吹けば飛ぶような年賀ハガキではあるが、それなりに価値と感動を与えるものであると思う。年賀状には、各個人の個性が表れている。少ない文字の中に思いを込めているからだ。最低一枚当たり 100 円以上の原価が掛かっている。
「費用対効果」の点からは、十分に効果はあるものと思われる。費用の中には、郵便料金のみでなく、書く人の時間と情熱が込められている。 1 年に一度のやり取りではあるが、懐かしい人との交流には欠かせない。文章交換である年賀状の文言から、年賀ハガキを発信する者の現在の状況が分かり、安堵したり心配することにもなる。今年の特筆すべきことは、死亡したとか、施設に入ったとか、老人になったため年賀状をしたためる気力が萎えてきたというようなネガティブ(消極的)なものが多く交じるようになったと思われることだった。気のせいかもしれないが…。
私の年齢を考えれば、すでに世代交代して一線から身を引いた人が目だつのも当然だが。もちろん、元気に社会的に重要なポストに付いている人が周りに多いため、私としては、さほど年を取ったような気持にはなっていなかったが、年賀状の文面により世代交代が確実に進行していることが感じられた。今年こそは、今まで以上に若い層の人々とも交流して、幅広い人脈を再構築することを試みる必要がありそうだ。
例年、年賀状が来ている人から来なかった場合、どうされたのかといらぬ心配をしなければならない。病気になったか年をとって書くのが億劫になったのかと、いろいろ考えさせられる。
年賀状で忘れられないことがある。私が東京の大学生の時に、岡山県吉備中央町(旧賀陽町)出身で日中関係に尽力し努められた ( 亡 ) 岡崎嘉平太さんが、岡山県出身の大学の学生の集まりの会で話されたことがあった。すなわち、年の瀬になると、年賀状の宛名書きを毎週休日を利用して、この人は現在どうされているのかな~と思いながら 1,000 枚を自ら書くとのことだった。私は偉くなる人は一般人とは違うもんだと、感じた。今の私は、分相応の枚数を出しているが、昨今はパソコンから容易く入力でき発行できる。また、当時全日空の社長さんだったが、岡崎さんの送り迎えのクルマが、ありふれた小型車であったことにも驚いたことが、鮮明に思い出される。
参考までに、今年の年賀状の 1 等の当選者は、 3,604 人だそうです。一人の人が約 35 枚ほど出したことになる。確かに少ない人もいるだろうが、大量に出す人もいるから 1 等の当選者は 100 万分の 1 枚の割から算出すれば約 3,600 人になる。日本古来の良き習慣で、でっかい年中事業であることがわかる。
たかが年賀状、されど年賀状である。吹けば飛ぶような将棋の駒にかけた命と、相通じるところがある。
先日 19 日に、元横綱大鵬さんが病死したとの報道があった。「巨人・大鵬・卵焼き」が流行語になった 1960 年代の高度成長期のヒーローだった。幕内優勝回数 32 回の金字塔を打ち立てた人である。天才という人もいるが、努力の人であった。ライバル柏戸とともに 21 才 3 ヶ月の若さで横綱に昇進して、「柏鵬(はくほう)時代」を築いた人である。まだこれからの 72 才の若さで亡くなった。惜しい人を亡くしたものである。御冥福を祈ります。