馬場 勉コラム
『自今生涯』

第116回

高野山の宿坊に泊まる

今日は冬至。本年は残り少なくなった。寒さが一段と身に凍みる。年末はそれなりに多忙で大変な時もあるが…。

先日、四国 88 ヵ所霊場めぐりの締めくくりとして高野山にお参りした。残雪がちらほら道端に見える状況だったが、寒さはそれ程でもなかった。宿坊に泊まることにした。折角だから少しゆっくりしたかったのに加えて、宿坊の体験は非日常的な貴重なものだから。

窮屈な点もある宿坊だが、古い歴史のお寺さんなのに部屋は、近代的でびっくりする程。肉や魚は使用していない精進料理は満足できるものであった。特に味付けが良く、ごはんは美味しかった。

お寺さんは、とにかく朝が早く夜も早い。その点夜更かしが慣れている体には少しきつい面もあった。

朝は午前 6 時からのお勤めに参加させてもらった。般若心経(はんにゃしんぎょう)を唱えるだけでなく、お勤めの作法は珍しくいい経験をした。

また、真言密教には阿息観(あそくかん)という禅宗の座禅に似て非なる修行があって、出席する機会に恵まれた。初体験でしたが、興味がわくものであった。

宿坊を後にして、高野山の奥の院へ。参道には苔むした石塔が多数あり、戦国武将のものには周囲を圧倒する迫力がある。ただ、無縁仏の石塔は引墓となり、新しい墓地になっているところもあって、栄枯盛衰を感じる。先祖代々栄えることは、難しく末裔が墓守できない場合もあるのだ。有名武士の墓でさえ崩れそうになっているものもあるが、永代供養を前提に高野山の奥の院へ祭られているのだろうから、整理するわけにもいかないということかと思われる。たかが墓というなかれ、国の重要文化財に指定されているものもある。また、古木が林立する静寂さが歴史の長さを感じさせる。

ちなみに、高野山を弘法大師が開いて 1200 年近くになる。新幹線や電車を乗り継いで行ったが、半日がかりの遠いところだ。一度は訪ねてみる価値はある。

なお、阿息観(あそくかん)作法とは、吐く息、吸う息に、ひたすら命の本源である「あ~」(梵字のア)の声を唱えて天地と呼吸を通わせ、「あ~」の声と一つになって宇宙(大自然)との一体感を得る瞑想法をいうのである。

高野山は、標高 1,000m 程のところにある盆地で 2004 年世界遺産に登録されている宗教都市である。何度でも訪れてみたいところでもある。日本人の心の故郷を彷彿とする環境に満ちているところ。第 6 回目のお遍路は、すべて無事に完結した。来年からは、新しい気持で第 7 巡目を目指したい。急がず、ゆっくり楽しみながらのお遍路の順打をしたいと思う。

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