馬場 勉のコラム
『自今生涯』
四国八十八ヶ所を逆打ちで6回目満願
平成 24 年の残りも少なくなり、寒さが一段と身にしみるようになった。
今年は、うるう年だったため、四国八十八ヶ所のお遍路は逆打ち( 88 番から 1 番へ)するのが良いとされているため、逆打ちした。すなわち、お蔭が増大すると思ったから。そこで、今年初めから 88 番から始めた霊場回りが、この度めでたく満願した。逆打ちは、順打ち( 1 番から 88 番)より回りにくかったのが素直な気持。私だけでなく、皆さんがそういうように感じているらしい。標識は、順番に回るように表示されている。すなわち、回りやすいように 1 番から 88 番へと順番を決めているということ。逆回りするのは、あまり想定されていないため大変なことだといえる。それだけお蔭も多いといえるだろう。仕事をしながらだから、土・日・祝日を利用して、月に 1 ~ 2 度の割合で回ったことになる。
四季それぞれに四国の自然環境が変わる。都会の霊場もあれば、奥深い山の中にあるところもあって変化があり楽しい。
さすがに、冬場の山間部のお寺さんには行かないことにしている。細い道や高い所のお寺さんは行く時に、冷や汗をかくこともある。雪や凍りついた道をクルマで行くにはリスクが多すぎるためだ。四季の自然環境も考慮して、回った方が得策といえる。
今回は、うるう年の 1 年間内で回ってきた。結構忙しかったが、やりがいもあった。
来年は、 7 回目のスタート台に立つことになる。目標は 10 回以上を回りたいと思っているので、まだまだこれからだ。
山深く高いところにも新しく道がついて登れるが、大型バスは無理なところも多い。寺院が標高の高い山の中にある所では、造作した昔の人々の意気込みに、頭が下がる。道の拡がった今でも、建物を建てるのは並大抵ではない。どのようにして、数百年も前にお寺さんを建てたのかと思うと神妙な気分になる。
お寺さんによっては、数百年いやもっと年月の経っているであろう大木がそそり立っているところもあって、歴史を感じる。庶民の信仰心の深さに感銘を覚える。
歩き遍路の人も結構多い。頭が下がる。興味半分ではとてもではないが、続かない。遍路を続けるのも、何か得るものがあるからできるのであろう。
若い人も多く、子供が一人前にお参りしている。老若男女を問わず、年齢には関係なし。まだ、私はこれから高野山へのお参りが残っている。近いうちに、高野山にお参りする予定になっている。うるう年の今年中にすべて完了させて、新年を迎えたいためだ。
考えてみれば、遍路することは最高の贅沢である。なぜなら、まず時間がなければ回れない。次にある程度の若干の経済的余裕が必要。さらに、周囲の人の協力がなければならない。これらの諸条件が満足されたとしても、体力がなければならない。長い距離を歩いたり、石段を上るところもあるから、健康であることが必要である。要は、八十八ヶ所を回れることは、元気であることを証明していることにもなる。もっとも、気力とやる気が前提となるが…。