馬場 勉コラム
『自今生涯』

第113回

アメリカ発祥の地は”プリマス”開拓村なり

コロンブスが、スペイン女王イサベルの援助を得て 1492 年、サン=サルバドル島に達することができた。これが歴史に残るコロンブスのアメリカ大陸発見であった。時代は当時盛栄を極めていたスペイン・ポルトガル・フランス・イギリス・イタリア・ドイツ等がヨーロッパの拡大のため、大航海時代を繰り広げ新大陸発見に血眼になった時であった。

日本に於いては、戦国武将が覇権を争いあっていた時期の室町時代の末期ごろに当たり世の中が混沌としていた頃である。

本格的にアメリカ大陸に上陸し、宗教上の迫害などから逃れるため新天地を求めて開拓村を開く集団が現れた。 1620 年 11 月 9 日「陸!陸!」とメイフラワー号の開拓者達は、歓喜の声を上げた。

9 月 6 日にイングランドのプリマス港を出てから 66 日間、大西洋の大海原が時には晴れ、かつ静かで美しくもあり、時には嵐と荒波が続き船酔で死ぬ思いもした。一人が死に一人が生れた。総員 102 人の「清教徒」と「よそ者」達が新天地を求めアメリカ東海岸へたどり着いて新大陸開発の第一歩を踏み出した。

時に、メイフラワー号のピルグリム「聖徒」と「よそ者」が乗っていたが 1620 年 11 月 11 日彼らは上陸して住むことを決め共に生きる契りを結んだ。

それは、自由独立の気概に溢れ自治公共体を組織する約束であった。現在のアメリカに流れる自由と独立の精神はこのメイフラワー契約が基礎になっていると言っても過言ではない。

彼らは定住に適した場所を探した結果、約 1 ヵ月後の 12 月 11 日にプリマスに上陸し定住を始めることになった。メイフラワー号開拓団員 102 名の半分が冬、春、夏の間に死に 51 人が死を越えて生き延びた。原住民との共存共栄があったことはもちろんであるが、秋に原住民一行 90 名を迎えて 3 日間にわたり収穫を祝い感謝した。これが現在へと続く大感謝祭の始まりである。日本でいう勤労感謝の日(新嘗祭)にあたるものであるといえる。

彼らはピルグリム・ファーザースと呼ばれるようになり、その後たくさんの開拓村民が辛い暮らしの中にも愛の精神は生きていると信じて、生きる勇気を持たせたのも彼らだった。

その後 1630 年頃までに大量移民が始まり数万人規模になったため「新イギリス」ニューイングランドを築くに至った。

北アメリカ大陸大西洋岸に、イギリス植民地が発展したことからメイフラワー号到着後 121 年経った 1776 年に 13 植民地連合が母国イングランドから独立宣言をした。

アメリカ憲法は、多種多様な人々が良心の自由と民主主義をもって共に生きる契りであった。この流れが現在のアメリカ人に血の中に脈々と及んでいる。民主党と共和党ともに独立宣言の流れを汲み入れてどのような政治パターンにするかによるところが多い。現在は、プリマス港の近くに開拓村を復興させて見学できるようになっている。アメリカの歴史や風俗を説明している。これを称して「メイフラワー号プリマス開拓村」といっている。日本でいう北海道へ行った屯田兵や各地に入植した開拓民を思い出させるものである。

日本では 1600 年に関ヶ原の戦いで時代が大きく変わっていったが、日本の歴史は 1000 年以上で長いが中国に於いては 3000 年以上の歴史がある。それに反し、アメリカはたかだか 400 年程の歴史の国であるが世界の中核国になりアメリカの大統領選挙は世界の視目が注がれている。アメリカが好きだ嫌いだといってみても世界で通じる言葉は英語がツール(道具)として使われている。英語が話せなければ旅行をはじめ外交や事業などありとあらゆるものを行うことが不可能になっている。すでにこの流れを変えることは、不可能だ。だから、これからの次世代の人は語学力、特に英語には堪能になる必要がある。

日本の歴史は、 1600 年の関ヶ原の戦以降世の中が戦国の世から落ち着いてきたため、土着する武士も出てくるようになり、この辺りから一般家庭の家の歴史が形成できるようになったといえる。

アメリカは、開拓民による歴史が始まり。だから、約 400 年と底が浅いのだ。それ故、比較的歴史を感じさせる物を大切にする国民性があるといえる。

一言でいえば、マサチューセッツ州の近くにある「プリマス」は、アメリカ人にとって建国の発祥の地であり、一生に一度は訪れてみたい心のよりどころとなっている。日本人が死ぬまでに、一度は伊勢参りをしたいと思うのと同じ心境であろう。

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