馬場 勉のコラム
『自今生涯』
金7、銀14、銅17合計38個のメダル
残暑は厳しいが、風は涼しくなった。夏の終りを感じさせる。
個人的な雑事に追われたため、気にはなっていたがこのコラムをちょっとの間休んでいた。その間に、ロンドンオリンピックも終わった。結果は、日本が 38 個のメダルを獲得した。まずまずのできだった。
特に、女性のガンバリが目立った。金メダルの 1 号に輝いた柔道の女子 57 キロ級の松本薫さんを、初めてテレビで見た時の印象は強烈だった。目付きが尋常ではなく、口元は何か呪文を唱えているように思えた。最高のメダルを取るには、異常と思えるくらいの集中力と闘争本能が当然必要だ。暗殺者だとか野獣などと表現されているが、そのくらいでなければ世界の最高峰には立てない。攻めに攻める野獣スタイルが実を結んだ。 38 個のうち金 7 個で残る 31 個は銀か銅であるから、タッチの差の違いであってもそれが勝負の世界。銀や銅メダル組の選手に手厳しい言い方をすれば、対応が甘いと思われても仕方ないでしょう。国を代表して戦い、国費をつぎ込んでいるのだから心してほしいものだ。
すでに、 4 年後のオリンピックの戦いは始まっている。心に残った言葉は、「最高の舞台で最強の相手と戦え、かつ、最高の仲間と一緒に戦った」という主旨の言葉だった。団体戦で組んだ仲間は、最初で最後のグループが多いだろう。メダルは取ったが、戦った仲間達と離ればなれになるのは、淋しい気持が残るだろう。ただ、人生そのものが一期一会の連続だから、そこは割り切って考えて前進しましょう。
先日のNHKの特集を見て考えるところがあった。「巨大戦艦大和」“乗組員の見た生と死”というタイトルの番組だ。
戦艦大和には、選抜された 3,332 人が戦闘員として乗り込んだが、生還した者は 276 人だった。約 8 %強の生還率。
昭和 20 年 4 月 7 日に、海のモクズになってから 67 年が経過。生きて帰った人の人生も様々だが、すでに 90 才前後になっている。テレビに出演した人は、皆さんお元気で年を感じさせなかった。生き残るだけのことはある。生命力があるのだ。個人的なことだが、私の母方の叔父さんは戦艦大和に乗り込んでいて負傷したものの生還した。よく“大和”のことを酒の肴にして話していたが、残念ながら病死した。生存した 1 人だったのに。
オリンピックと戦争の共通点は、生死をかけた戦いの時がもてたことだ。一生のうちで全てをかけて戦った充実した時期は少ないのだ。だから、何時までも戦争の記憶が残る。オリンピックの戦いもそういうものだろう。命がけの経験は人生行路でそんなに何度もあるものではない。だから、充実した時は大切なのであり永遠に記憶に残るのだ。
木彫界の最高峰である平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)は書を多く揮毫した。「六十七十は はなたれこぞう おとこざかりは百から百から わしもこれからこれから」と書き残している。百からは無理としても、八十才から元気に活動したいものだ。私の周辺の知人で八十才を越える男性が 10 人以上いる。そういう人と話をすると元気をもらう。八十才以上の知人と同一年齢になるには、まだ相当の時間的距離がある。ガンバリたいと思う。お金や地位があっても病気をしているよりは、お金はなくても元気で病気をしないで仕事ができることは幸福なことだと思うようになった。億万長者であっても食事制限があったり、体が不自由であればつらいことだから…。健康であることはありがたいことだ。