馬場 勉のコラム
『自今生涯』
夏本場へ
梅雨が明けた。少し前から蝉しぐれを耳にするようになった。蝉をはじめ生きとし生けるものは、誰が教えるわけでも無いのに時が来れば、年々歳々時の到来を忘れずに恋の季節を繰り返すものだ。
今年の梅雨時は、雨が多かったように思う。猛暑の真夏日がつづく本格的な夏に入る。日本に四季があることは、ありがたいことだ。夏は夏で楽しみが湧く。今年は、ロンドンオリンピックが開催される。期間中は、昼夜を問わずオリンピック一色になるだろう。国民みんながテレビの実況を楽しみにして寝不足に。
それにしても、「何も決まらない政治」といわれているが本当にどうなっているのだろう。教養と経験に裏打ちされた存在感(すごみ)のあり、かつ、情熱と勘(ひらめき)に優れた総理大臣が日本からいなくなった。日本は、総理になれる人材不足でコロコロ変わり悲劇である。
日替りならぬ年替りで総理大臣が変わっていく。総理が約束を公言しても、どうせ守られないだろうと思われるのが落ちで残念だ。
時々、国会中継なるものを見ることがあるが退屈する。質問者は、パフォーマンスよろしく長々と持論を並び立てる。回答者である総理を始め大臣も核心に触れず、「ああ言えばこう言う」というその場限りの答弁に終始しているようでつまらない。ダイジェスト版で十分である。
質問する側の中には、大きな声でいきり立ってみせるが軽薄なためパンチ不足だ。一人芝居に終わっている。俗に言うディベート(ある課題について、肯定・否定の 2 組に分かれて行う討論会)をやっていると評価されても仕方がないだろう。筋が一本通っていないといえる。
総理は、美辞麗句を並べてディベートよろしく答弁するだけの形式論に終始しているが、立場をわきまえていないので不十分だろう。信念に基づいた考えを堂々と国民にわかる言葉で易しく述べてほしい。政治家としての経験不足は否めないが、松下政経塾でディベートの練習ばかりをしてきたのだろうかと思う。一国の総理だから存在感が必要だと思うが無理な相談だろうか。若いだけでは、実績が十分でなく、経験と存在感が必要なことはまぎれもない現実である。
期待が大きかっただけに、反動で大きく失望したのが民主党。寄り合い世帯だからやむを得ないのかしれないが、小沢一郎さんのグループが大量離党してから、櫛の歯が欠けるように一人抜けまた一人抜けてゆく。党の体をなしていない。私の知る限り、離党者が次から次にドミノ倒しの如く連鎖して抜けていくのは、初めてである。
何事も増大するのは気分的にも高揚するが、減っていくのは気分が落ち込んで意気消沈するものだ。
政局は、もうどうしょうもない。解散して国民に信を問い、出直しする以外に名案はない。当分の間、小数政党乱立という時代が続くかも…。