馬場 勉のコラム
『自今生涯』
男の一生
11 月は今日まで。あすから師走になる。あと一ヵ月経てばお正月になる。年末は、気分的にも仕事においても気ぜわしく多忙になる。落ち着かない時でもある。
フランスの作家モーパッサンが「女の一生」というタイトルで女性を根堀り葉堀り書いているらしい。らしいというのは、私は読んだことがないからだ。「男の一生」というタイトルの小説はないもようだ。男の一生をどのように料理して書いても、ちっとも面白くもなんともないためらしい。
売れっ子作家の渡辺淳一先生が、定年退職した男の生き様を書いているが、それはそれで男の悲哀を描いて興味深い小説になっており、身につまされる話の内容となっている。
先日、公務員の知人と話していた時のことだ。私が、本業の不動産鑑定業を開業して 35 年になるという話になったとき、公務員であれば大学を卒業後 22 才で官庁に就職した場合、あと数年で定年退職になる期間であると指摘され、そんな長時間に匹敵するのかと感慨深かった。何とも言えないショックを受けた。長い間、不動産鑑定士として仕事に精進してきた。これといった立派な仕事も残せず、ただ長い間(考えようによれば、あっという短い時間だった)何をしてきたのだろうかと思う。無駄に時間を浪費したのではないかと悔やまれるとともに淋しさが漂う。
昭和 40 年代後半に、斯界で仕事を始めた頃は、タイプ打ち製本だった。その後ワープロに変りパソコン(コンピューター)に進化した。事務所の執務環境は、日進月歩に合理化されかつ省力化された。また、ファックスや携帯電話さらにカーナビなど想定の範囲をはるかに超えて、文明の利器が、続々と登場してきた。
事務機器の世界では、激動の期間だった。これからどうなるのか想像することが出来ないが、もうこれ以上は必要ないかもしれない…。とにかく、世の中の時の流れが早いのだ。ついていくのがやっとという感じだ。
それに反して、私の人生は遅々として進歩せず、実務経験だけは豊富になって、歳をとってきたが、時代の流れと我が心の進歩とのギャップは大きい。皆さんにプレゼンテーションできるようなものも無い。時代の流れに身を任せてきただけのようで恥かしい限りだ。
私の男としての一生はまだ終わっていない。未だ、人生の途上であるから、今後はどうなるか興味のあるところではあるが、びっくりするようなことは起こらないだろう。ただ、本業である不動産鑑定業を、現役で務め上げて全うしたいと想っている。いわゆる、自営業だから健康であれば定年は無いに等しい。
「男の一生」といえるような楽しい小説のモデルになれるような生涯だったらよいのだが、それに値するような、数奇な人生を過ごしてきたわけでもない。
もう一度生まれ変われば、どういう人生をやりたいかと問われれば、いろいろなケースが考えられる。ただやってみないとわからない。平凡な人生も良いかもしれないが、むしろ苦労はあっても波乱万丈の人生を演じてみたいと思う。そのほうが面白いだろうから。一度の人生だから悔いが残らないようにしたいだけだ。男の一生として、小説のモデルになれるような人生を実行してみたいという願望はあるが…。
私の人生は、すでに終盤をむかえているようである。しかし、まだまだこれからだと意気込んでいる。思い悩む苦労が多くあっても、楽しく愉快な晩年であってほしいとも思う。不動産鑑定士は年齢というより経験が大切で、技術的な手段はさほど問題にならないと考える。だから、これからは経験・体験を業務に反映させ、誰もが納得できる鑑定価格を求めて、世のため、人のために尽力できれば幸せだと思う。それだけに留まらず、浮気心で何か別のこともやりたいと思っているが…。
私の 35 年の不動産鑑定業の期間などしれたものである。ただ、幸せなことは、岡山に生まれ育ち、岡山で仕事が出来ることである。そして岡山で人生の終りをむかえるであろう。
紙切れ一枚の辞令で、職場を変わりあるいは転勤で他の所へ強制的に配置転換されることは無かった。見方を変えれば、色々な場所や仕事を体験するのは楽しいことかもしれない。私には、そういう経験が無いのでわからないだけのことかも。