馬場 勉のコラム
『自今生涯』
何もすることがないことは、辛いことだ
10 月は今日で終わり。今年は、あと2ヵ月になった。今年の週末は、雨の日が多いように思う。予定を入れていても雨になって、楽しみが半減したということが珍しくなかった。
雨の日で入りがよい業界は、かつては映画館だったが、今はどうなっているのだろうか?テレビ番組も多様になってきたから、家でテレビの守りをするのも良いかもしれないが…。
私の近くにあるイトーヨーカドーは、休日が雨になると平日はほとんど車がみられない屋上の駐車場が、一杯になる。雨の休日は行くところがなくて、スーパーマーケットで時間を費やすということのようである。だから、百貨店なども、雨の休日は多いのではないかと思うのだが、実態はどうなっているのだろうか?
作家の渡辺淳一さんが週刊新潮に「後の祭り」という題でコラムを書いている。今は、定年後の無職の男性を主人公に、定年後の悲哀をうまく表現している。サラリーマンとして勤めていたときは、仕事に追われて時間をもてあますことがなかったのに、定年を境に毎日が休みという状態になって家の中で過ごすと、一日が長くて時間を潰すのに困っている情況をうまく綴っている。
私と同じ年代の人も、定年後数年は勤め先の紹介などで面倒を見てもらって勤務していたのに、それが終わってからは仕事をしたくても採用してくれるところがないのが現実のようである。年金を頼りに、ブラブラしているという状態の人が大半である。特に、辞めた時に地位が高かった人程、過去の地位に対するプライドがジャマをして就職難になるらしい。
人生で困ることは、お金がないこと、あるいは病気になることなどだが、最も淋しいと思われることは仕事がないことだろう。幸いに、私は自営業であるために定年もなく仕事にありついている。働くことは、他人を楽にすることにもつながるし、社会への貢献と存在感を満喫できていいことだと思う。
私も経験があるのだが、仕事のないことぐらいつらく淋しいことはない。やはり、健康で少しのお金があってやるべき仕事があることが、最も幸せなのかもしれない。
失業率が 10 %近くなっている欧米では、暴動(デモ)が行われている。仕事をよこせという不満の表れである。日本では、若い人の失業が問題になっているが、同じぐらい深刻なのは高齢者の失業である。高齢者にはそれ相応の仕事があっても良かろうと思うのだが。
私が、もし、失業状態になったとしたら、何ができるだろうかと思う。パソコンなど文明の利器はダメだから肉体労働ということか。一度やってみたいと思っている仕事もあるが…。
それにしても、新卒者の就職難は、何とかならぬものか。失業はつらい。自ら望んで積極的な失業者になる人も多いようだが、職に貴賎はないからやれることをやってみよう。何もしないで時間を持て余すのが一番つらい。社会で必要とされていないのかと人生に失望し、やる気をなくすことはよくない。大きな社会的損失になる。
お金もなく、仕事もなく、病気になれば、人生に失望して自殺あるいは自殺予備軍ないしは心の病気になってしまうように思う。やはり、仕事があることは素晴らしいことなのである。
働きづめで、休みがなく疲れている人もいるが、考え方によれば休みがないくらい仕事があるということは、幸せなのである。ものは考えようで、気持は変わるものである。