馬場 勉のコラム
『自今生涯』
聖山 高野山
先日の連休を利用して、高野山にお参りしました。四国霊場 88 ヵ所遍路の旅が 5 回目を完了しましたので、締めくくりとして高野山へ。今回は、宿坊に泊ることになりクルマで行きました。結構遠いです。
一般的には、奥の院にお参りして終わりになるのですが、この度は時間の余裕をつくって、高野山にある建造物等を拝見しました。
奥の院の弘法大師の御廟には、現在も弘法大師空海さんが、生きていらっしゃることになっていますから、毎朝食事をお供えしています。奥の院は、大師信仰の中心聖地である。
真言宗を開祖された空海さんは、精力的かつ活発に全国を歩かれたため、日本国中にその足跡が残っている。有名なものだけでも、京都の神護寺、東寺、四国 88 ヵ所霊場、さらに高野山とそれなりの歴史を刻んできている。
反面、同時代を生きた先輩にあたる伝教大師最澄さんは、京都の比叡山に引きこもって天台宗を極めかつ広めた。比叡山は仏教総合大学のような役割を果たした。平安末期から鎌倉初期に新しい仏教の宗派が興きた。すなわち、法然(浄土宗)、親鸞(浄土真宗)、栄西(臨済宗)、道元(曹洞宗)、日蓮(日蓮宗)などは比叡山で勉強に励み、修行して、新しい仏教を広めたことを考えれば、密教の双璧として伝教大師最澄の比叡山は、弘法大師の高野山とともに、日本の宗教界における存在価値は非常に大きい。
さて、高野山には、奥の院以外に根本道場としての大伽藍(壇上伽藍)があり根本大塔、金堂、国宝の不動堂など多くの建物群がある。
その他、大門、女人堂、徳川家霊台、大師教会、霊宝館、さらに中心になる総本山金剛峯寺(こんごうぶじ)が、高野山という限られた平地(ぼんち)に散在する。その空間を多数の別格本山などがひしめき合って埋めているのが高野山のまちの風景である。
大都会に住んでいる東京の人にとっては、あこがれの地らしく二泊三日の旅程で高野山を訪れる。宿坊に泊る人が多い。宿坊は窮屈で自由が拘束されるが、思い出として残ることは間違いない。シティーホテル・温泉旅館とは一味違った面をもつ。高野山にお参りする信仰心のある人(ない人)もそれなりに感銘を受けるところである。
旅をする時は、カーナビのお世話になる。しかし 100 %信用できないところが、何ともいえないうらめしいところ。道路標識と併用しながら頭を使って旅をすることがいいことかも知れない。特に 88 ヵ所を巡るときは、標識がたくさん出ているのでそちらを優先して進路を決めるようにしている。カーナビを頼りにしたため、とんでもない山道を駆け巡ったことがある。やはり広い道や新しい道を優先したほうがよさそうである。ただし、カーナビは困った時には頼りになるから、捨てたものではないが…。