馬場 勉コラム
『自今生涯』

第74回

一期一会の心境

「暑さ寒さも彼岸まで」は名言である。残暑が厳しかった今年は、台風による多量の雨により一気に涼しくなった。朝晩は寒いくらいだ。

二泊三日の旅、 800km 以上を走破した。連休をはさんで、主に山口県内をクルマで回った。本業の不動産鑑定の依頼を受け現地確認のため下関市に行ったからだ。

対象不動産は、俗にいうラブホテルだから、外観だけでは十分ではないと判断して、対象地のラブホテルにお客として宿泊することにした。一人だけで淋しい思いをしたが、ビジネスホテルに泊まったと思えば部屋は広いし、いろいろなグッズ等もあり結構たのしかった。

二度と同じホテルに泊まることはないことだけは、間違いないだろう。いわゆる、一期一会の気持で対象不動産であるラブホテルや周辺地域を調査して、本来の目的は達した。

せっかく遠くまできたのだから、物見遊山とシャレこんで下関から日本海沿いに長門へ。さらに萩に。泊るところは、南下して湯田温泉にした。翌日は湯田市内を見学し、津和野(島根県)へまわって帰岡した。全行程が長距離になり、高速道と在来線も走ったので、結構運転した気分になった。

さほど疲れも残らないから、まだまだバリバリで仕事が出来ると自己満足している。他人から見れば、勝手にせぇ~ということになるかも知れないけども…。

せっかくの旅だから、紀行文を書いてみることにする。萩(はぎ)といえば、幕末から明治初期の混乱期を活躍した若者達に多大な影響をあたえた「吉田松陰(よしだしょういん)」が有名。彼の私塾、松下村塾(しょうかそんじゅく)には近郷近在の若者が集まった。同じような塾は全国的にたくさんあるが、松下村塾は特に有名で江戸から明治にかけての動乱期に若い志士が世の中に影響を与えたことは特筆に値する。塾として使われた建物は、お世辞にも立派なものではなく粗末な家という感じである。

幾多の同志が、挫折し或は暗殺されたなかにあって、明治の元勲としてお札の顔として登場する「伊藤博文(いとうひろふみ)」の旧宅と別邸が松下村塾のすぐ近くにある。旧宅はさほど立派な家とはいえない。その時代では普通の家であったのだろう。そのような家に生れ育った人が、立身出世してその後の日本を運命付けたことは興味深い。

湯田温泉は、山口市内にある。名の知れた温泉郷だ。ただ、温泉旅館等と歓楽街が入り混じったなんとも表現しにくい中途半端な温泉地というところだ。

同市にある国宝の瑠璃光寺の五重塔は見応えがある。約 560 年の歴史が刻まれた日本を代表する三大五重塔の一つと称せられ一見の価値はあった。

国道 9 号線を北東に走ると津和野に行ける。津和野は「森鴎外(もりおうがい)」が有名である。軍医であり小説家として著名で記念館には、資料がよく集められている。誰にでも彼の生涯を理解できるように整理されていてよろしい。また、隣接地には生家の旧宅がある。びっくりする程の建物ではないが当時としては上のクラスの家といえる。

日本は広い。全国津々浦々の田舎から、青雲の志を抱いて東京(江戸)に出て、ひとかどの人になった。特に、幕末から明治にかけては時代の混乱期だったから、運の良い人は功なり名を遂げることのできたよき時代である。

ただ、現在でも不可能ではない。野田佳彦内閣総理大臣は、普通の一般家庭の出身だから、努力と天性がありさらに運が良くそれ相応の人になれた。

時代は変われど、世の中の仕組みはさほど大きな違いはないのかもしれないと思った次第。楽しい旅であった。

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